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「小さい頃から、当たり前のように自分はミュージシャンになると信じていた。」と、自分のキャリアを振り返ってラスは語る。「一番最初に大きな感銘を受けた音楽は、バンドリーダーの Ray Conniff と、トランペット奏者の Billy Butterfield による、"Conniff Meets Butterfield" というアルバムだった。とあるデパートでこのアルバムの中の一曲を流していた際に、両親に抱かれた赤ん坊の僕が尋常でない反応を示したことから、このレコードを買ってくれたのだった。その後(子供がよくやるように)遊んでいて壊してしまうまでの数年間、何度も聴き続けた。何年か前にこのアルバムが CD として再発行されているのを発見した時はとても驚いた。」
ラスは彼の父、Russ Sr. の聴いていた音楽に多大な影響を受けている。ビッグ・バンド、ジャズ、ディキシーランド、Herb Alpert、Tijuana Brass、果ては Spike Jones までも!
6歳の時、ラスは生まれ故郷のカリフォルニアからペンシルバニアに引っ越す事となる。
10歳の時から 2年間、ラスはピアノのレッスンを受け、楽譜の読み方などを習った。
ラスはその後も自己流でピアノを弾き続け、ピアノのベンチの中から出てきた “60年代のヒット曲” とか “70年代のヒット曲” などというインチキくさい楽譜を手当たり次第に制覇していった。特に彼は、出来合いのアレンジメントを無視し、高校で習っていた音楽理論を使ってメロディーを組み合わせ、コードを構成して独自のアレンジメントを作ることに専念していた。
15歳くらいから、ラスはひとつ年上の友人で、長いことギター・レッスンの経験があった John Ferrara と一緒にギターを弾くようになった。
1980年、ラスはペンシルバニアから実父の住んでいたオレゴンに引っ越した。彼はそこですぐに親しい友人をつくり、彼の最初の “本格的な” バンドができることになる。
その “ツアー” は10年続く。その間に彼は 3度バンドを変わった。「10年の間に、“The Rage”、“Trespasser”、“Top Secret” の 3つのバンドにいたが、どれも大体同じくらいの期間だったな。あの頃はすごく楽しかった。アメリカ中渡り歩いたんだ!」 1991年、ラスは、それまでの “ツアー” 生活に終止符を打つと共に、比較的 “普通の” 生活をするべく、シアトルに移った。「シアトルのような町では、僕は “ひと粒で 2度美味しい”、つまり僕がコンスタントにギグできるようなクラブが十分にあって、今までのように町から町へと旅しなくても良い、ということなんだ。」と、ラスは言う。「シアトルに着いて間もなく、僕は “Tacoma Vice” というタコマのトップ-40 (主にトップ-40のポピュラーな曲を演奏する) バンド に加わった。偶然にも、そのドラマー、Everett Jones とは数年前にモンタナ州の ビリングスで演奏した時に会ったことがあった。その時にはお互いにファンク・ミュージックの話で盛り上がり、すぐにウマが合ったんだ。」
そして正統派ファンクはまさにこの “Tacoma Vice” が得意とするものであった。ラスはこれまでファンクをこよなく愛していたが、バンドという形でプレイする機会には恵まれなかった。彼にとってこのバンドとの出会いは「夢が叶った」ようなものだった。 ラスは 1994年に Tacoma Vice が解散すると、地元のミュージック・ストアで働き始め、ギター教室を始めた。「Tacoma Vice の解散はすごく名残惜しかったがあれが引き時だったと思う。でもあのレベルに近いバンドを見つけることができなくて途方に暮れたよ。まるで陸に上がった河童という感じだった。」 それから 1年もしないうちに、ラスは Tacoma Vice のドラマー Everett と共に、地元の才子 - シンガー・ソングライターの Steve Stefanowicz とプレイするようになった。Steve との経験で彼は、ステージ上で、より “ルーズかつ自由” になることを学んだ。「Steve は演奏している最中に突然曲の方向を変えてしまったりするんだ。周りはそれに常に備えていないとならない。」その当時のことをラスは語る。「僕らはいつもコインが決める方向に進むような感じだった。それによってよくミュージシャン達が言う “第六感” を鍛えるといった感じだったね。すごく良い経験になったよ。」
その後 1995年から1996年にかけて、ラスはアラスカでギグをし、またシアトルに戻ってくると、Steve やその他の地元ミュージシャンと一緒にプレイしていた。 当初、ラスも Joe (もうひとりのギタリスト)も、ギターがふたりになるとは思っていなかった。「面白いことに、」この状況についてラスは語る。「多分 Joe も僕も “ふたりのギタリスト” という設定に躊躇していた。僕らはどちらもギターの役割については自分だけの領域だという状況に慣れていたからね。でもすぐに僕らはお互いの “領域” のようなもの、つまりどのような状況で誰が何をするのが一番的確かというようなことがわかってきた。ふたりとも各々力があるけれど、お互いを踏みつけ合ったり、バンド全体が “忙しすぎ” になったりせずに、自然にお互いの引力で引き合うことができたんだ。これは他のバンドでは時々あまりよくできていないと思うことだけど、僕らはお互いをとてもよく聴いている。本当に、このバンド全体が各自のプレイを信じられないくらい良く聴いているんだ。」
2002年に Ray Lewis がバンドを去って、新しいヴォーカル、Tony Harper が加わることになった。その後彼らは狂ったようにリハーサルを始め、たくさんのギグをするようになり、また新曲も加わり、すぐに現在の Bump Kitchen へと成長していった。
現在ラスはソロ活動とスタジオ・ワークと共に、バンド Bump Kitchen で活躍している。
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