「小さい頃から、当たり前のように自分はミュージシャンになると信じていた。」と、自分のキャリアを振り返ってラスは語る。「一番最初に大きな感銘を受けた音楽は、バンドリーダーの Ray Conniff と、トランペット奏者の Billy Butterfield による、"Conniff Meets Butterfield" というアルバムだった。とあるデパートでこのアルバムの中の一曲を流していた際に、両親に抱かれた赤ん坊の僕が尋常でない反応を示したことから、このレコードを買ってくれたのだった。その後(子供がよくやるように)遊んでいて壊してしまうまでの数年間、何度も聴き続けた。何年か前にこのアルバムが CD として再発行されているのを発見した時はとても驚いた。」

   ラスは彼の父、Russ Sr. の聴いていた音楽に多大な影響を受けている。ビッグ・バンド、ジャズ、ディキシーランド、Herb Alpert、Tijuana Brass、果ては Spike Jones までも!
「当時僕の家では、あらゆる種類の音楽が溢れていたんだ。」と、ラスは笑いながら語る。「僕は心から両親の聞く音楽を楽しんでいた。そこへ、The Beatles のヒット。5 歳の時にアメリカで最初にリリースされた、“Meet The Beatles” を買ったことは良く覚えている。
あのレコードは文字通り擦り切れるまで聴いたよ。」

   6歳の時、ラスは生まれ故郷のカリフォルニアからペンシルバニアに引っ越す事となる。
そして、その2年後に継父によってギターとの“運命の出会い”を果たしたのだった。
「継父はよく家でカントリーなんかを弾いていた。大体がいくつかのコードを弾きながら歌うというもので、僕はすぐにどうやって弾くのか教えてもらった。彼はドイツ製のエレキ・ギター、Framus と Gibson のチューブ・アンプを使っていた。ギターを弾かせてもらう時は、天国にでもいるような気分だったよ! その当時プロのギタリストだった継父方の兄がギターとアンプを持ってやって来ると、ジャム・セッションが始まった。彼は本当に信じられないくらいすごかった。まともなトレーニングを受けたことも、自分がやっている事を全く理解することもなく、Chet Atkins、 Jerry Reed、 Roy Clark などの曲を完璧に弾きこなす事ができたんだ。まだ幼かった頃にこのテの物をまざまざと見せられて、当然ながら僕はショックを受け、それから狂ったように練習をはじめたんだ。」

   10歳の時から 2年間、ラスはピアノのレッスンを受け、楽譜の読み方などを習った。
「これは本当にためになったよ。このレッスンのおかげで、今でも(音楽)理論を考える時にはピアノの鍵盤をイメージすることができるから。」と彼は言う。「僕はギターを教える時にもよくキーボードを見せることがある。視覚からイメージをつかむためなんだ。」
ラスは 2年後にピアノのレッスンをやめることになるが、その理由は教師に耐えられなくなったからだという。
「レッスンを始めてから 1年半くらいして、先生は僕が飽きないように “ブギウギ” の楽譜をくれた。 ウォーキング・ベース・ラインの入ったやつ。その時僕は、『ああ、やっと!まあ半分くらい面白そうなものが出てきた!』 と思って、いくつかの曲を一生懸命練習して初の発表会に備えた。自分の選んだ曲が大体気分良く弾けるようになった時、僕は楽譜には八分音符で書かれていたにも関わらず、当然のように、 “スウィング” していたんだ。しかも自分では全く気が付かずに。もちろん “楽譜に忠実に” がモットーの先生には受け入れられるハズも無く、この時僕は別のものに移行する時だと気付いた。」

   ラスはその後も自己流でピアノを弾き続け、ピアノのベンチの中から出てきた “60年代のヒット曲” とか “70年代のヒット曲” などというインチキくさい楽譜を手当たり次第に制覇していった。特に彼は、出来合いのアレンジメントを無視し、高校で習っていた音楽理論を使ってメロディーを組み合わせ、コードを構成して独自のアレンジメントを作ることに専念していた。
「学校から帰ると、Burt Bacharach の曲でも何でもとにかく練習していた。何でも構わなかったんだ。まるでスポンジのようにあるもの全てを吸収していった。」

   15歳くらいから、ラスはひとつ年上の友人で、長いことギター・レッスンの経験があった John Ferrara と一緒にギターを弾くようになった。
「ジョンからは色々なことを教わったよ。」と、ラスは言う。「例えば僕の最初の “ブルース” スケールや、マイナー・スケール、もっと動きのあるコード形式 - “barre chords” というロックンロールのコンテクストによく使われたもの - など。僕らは彼の家で何時間もジャムをしたものだ。そのうちに僕らはだんだんと機材を増やしていったんだ。ジョンはあのバカでかい Ampage V-4 アンプヘッドを買って来て、自分でスピーカー・キャビネットを作って、その中に Radio Shack の(安い)スピーカーを 10個もつけたんだ。近所から警察を呼ばれたことは 1度や 2度じゃなかったな!」

   1980年、ラスはペンシルバニアから実父の住んでいたオレゴンに引っ越した。彼はそこですぐに親しい友人をつくり、彼の最初の “本格的な” バンドができることになる。
「高校時代にバンドを組んでいた奴らと一緒にプレイし始めたんだ。」彼は思い出して語る。「奴らのリード・ギタリストが引っ越してしまって、途方に暮れていたところだったんだ。最初は当時メジャーだったヘビーめのロック曲から弾き始め、ポップ・メタルや ロックのトップ-40 などを織り交ぜて演奏しているうちに、僕らはいつの間にか日中の仕事を辞め、“ツアー” に出ていたんだ。」

   その “ツアー” は10年続く。その間に彼は 3度バンドを変わった。「10年の間に、“The Rage”、“Trespasser”、“Top Secret” の 3つのバンドにいたが、どれも大体同じくらいの期間だったな。あの頃はすごく楽しかった。アメリカ中渡り歩いたんだ!」
「今後の記録のためにここで認めるけど、確かにあの当時、僕らはおかしな格好をしていたよ。ピチピチのスパッツにラメラメのロングコートとか!今となっては楽しい思い出だけどね。」

   1991年、ラスは、それまでの “ツアー” 生活に終止符を打つと共に、比較的 “普通の” 生活をするべく、シアトルに移った。「シアトルのような町では、僕は “ひと粒で 2度美味しい”、つまり僕がコンスタントにギグできるようなクラブが十分にあって、今までのように町から町へと旅しなくても良い、ということなんだ。」と、ラスは言う。「シアトルに着いて間もなく、僕は “Tacoma Vice” というタコマのトップ-40 (主にトップ-40のポピュラーな曲を演奏する) バンド に加わった。偶然にも、そのドラマー、Everett Jones とは数年前にモンタナ州の ビリングスで演奏した時に会ったことがあった。その時にはお互いにファンク・ミュージックの話で盛り上がり、すぐにウマが合ったんだ。」

   そして正統派ファンクはまさにこの “Tacoma Vice” が得意とするものであった。ラスはこれまでファンクをこよなく愛していたが、バンドという形でプレイする機会には恵まれなかった。彼にとってこのバンドとの出会いは「夢が叶った」ようなものだった。
「彼らがどんなバンドなのかチェックするために、僕はタコマのポピュラーなクラブに行ったんだ。そこでは自分の耳を疑ったよ!確かに彼らは Top-40 バンドだったが、それまでクラブなどでは聴いた事が無いようなファンクを演奏していて、才能のあるミュージシャン達の集まりだということが一目でわかったよ。もうこのバンドに入るしかない、と思ったね。」

   ラスは 1994年に Tacoma Vice が解散すると、地元のミュージック・ストアで働き始め、ギター教室を始めた。「Tacoma Vice の解散はすごく名残惜しかったがあれが引き時だったと思う。でもあのレベルに近いバンドを見つけることができなくて途方に暮れたよ。まるで陸に上がった河童という感じだった。」

   それから 1年もしないうちに、ラスは Tacoma Vice のドラマー Everett と共に、地元の才子 - シンガー・ソングライターの Steve Stefanowicz とプレイするようになった。Steve との経験で彼は、ステージ上で、より “ルーズかつ自由” になることを学んだ。「Steve は演奏している最中に突然曲の方向を変えてしまったりするんだ。周りはそれに常に備えていないとならない。」その当時のことをラスは語る。「僕らはいつもコインが決める方向に進むような感じだった。それによってよくミュージシャン達が言う “第六感” を鍛えるといった感じだったね。すごく良い経験になったよ。」

   その後 1995年から1996年にかけて、ラスはアラスカでギグをし、またシアトルに戻ってくると、Steve やその他の地元ミュージシャンと一緒にプレイしていた。
そして 2001年、Everett から一本の電話があった。彼はとても優れた地元のミュージシャン達を集めてバンドを作ろうとしていた。その面子とは、シアトル・ブルース協会からベスト・プレイヤーとして表彰されたこともあるモンスター・ギタリスト Joe Blenis、とにかくファンキーでものすごいベーシスト Scott Simmons、この地域で 1、2 を争うヴォーカリストの Ray Lewis だった。「電話を受けて、僕は狂喜したよ。彼らは誰もが大物で、最初からほぼ全てオリジナル曲をやる事になっていたからね。『Yes!』 と答えるのに 2秒も考えなかったな。」これが後に “Bump Kitchen” となるバンドの始まりであった。

   当初、ラスも Joe (もうひとりのギタリスト)も、ギターがふたりになるとは思っていなかった。「面白いことに、」この状況についてラスは語る。「多分 Joe も僕も “ふたりのギタリスト” という設定に躊躇していた。僕らはどちらもギターの役割については自分だけの領域だという状況に慣れていたからね。でもすぐに僕らはお互いの “領域” のようなもの、つまりどのような状況で誰が何をするのが一番的確かというようなことがわかってきた。ふたりとも各々力があるけれど、お互いを踏みつけ合ったり、バンド全体が “忙しすぎ” になったりせずに、自然にお互いの引力で引き合うことができたんだ。これは他のバンドでは時々あまりよくできていないと思うことだけど、僕らはお互いをとてもよく聴いている。本当に、このバンド全体が各自のプレイを信じられないくらい良く聴いているんだ。」

   2002年に Ray Lewis がバンドを去って、新しいヴォーカル、Tony Harper が加わることになった。その後彼らは狂ったようにリハーサルを始め、たくさんのギグをするようになり、また新曲も加わり、すぐに現在の Bump Kitchen へと成長していった。
彼らの待望のデビュー CD、“Big Ol' Bones” は 2002年に発売され、順調に売行きを伸ばしている。

   現在ラスはソロ活動とスタジオ・ワークと共に、バンド Bump Kitchen で活躍している。